求めるべきもの

「その日が来るー主なる神の仰せ。私は地に飢えを送る。それはパンへの飢えでも水への渇きでもなく 主の言葉を聞くことへの飢え渇きなのだ」(アモス書第8章11節)

 みんなが自分の欲望を満足させるためにだけ生きている世界は、なんと悲しいことばかり起こるのでしょうか。まさに今の時代は、聖書が預言した、この世が終わるような悲しみに満ちています。

 しかし、この悲しみを、悲しみとして、また飢え渇きを飢え渇きとして自覚する人は幸いです。神さまは「悲しいと思っている人は幸いだ。慰められるからだ。渇いていると自覚している人は幸いだ、それは満たされるからだ」と言われています。神さまがあなたに気づいて欲しいというメッセージです。

 どのようなメッセージですか。それは「死んではならない。生きよ」です。そのために「自分の欲望を満たそうとするのではなく、神さまの御言葉を求めなさい」と言われます。そうです。私たちが求めるべきもの、そして宝とすべきものは、私たちの心を潤し続ける神の御言葉なのです。私たちは今こそ求めるべきです。御言葉を開き、御言葉に聞くならば、あなたの心は満たされるだけではなく、満たすために探し歩く必要がない、心に泉が湧き、渇かなくても良いように、あふれ出て、人にも分け与えるほどの幸福を得ることができるのです。

                     (2021年5月23日週報「めぐみ」より抜粋)