主からの幸いを期待して

「そしてダビデは、アビシャイとすべての家臣たちに言った。「私の身から出たわが子でさえ、私の命を狙っている。ましてこのベニヤミン人なら、なおさらのことではないか。呪わせておきなさい。主が彼に命じているのだから。主が私の苦しみを御覧になり、今日の彼の呪いに代えて幸いを返してくださるかもしれない。」(サムエル記下第16章11、12節)

ダビデは、自分の命を執拗に狙って追いかけてきたサウル王に対しても、「主が油を注がれた方」と主を畏れて、倒すチャンスがあったのに、手を出すことをしなかった。ここでも、シムイという人がダビデと家臣に石を投げながら、呪いの言葉を浴びせかけ、家臣が「私に行かせてください。あの首を切り落としてやります。」と言ったが、ダビデは「主がダビデを呪えとお命じになったから、あの男は呪っているのだ。『どうして、あなたはこんなことをするのか』とは、誰も言えまい。」と家臣を諭した。そして、神からの幸いを期待した。

 自分にとって不都合な存在を遠ざけたい、排除したいと思ってしまう。しかし、そこに神の計画があり、私の成長の機会があると受け止めたい。慰めは神に期待して、その先に苦しみが待っているとわかっていても、主に委ね、敢えて苦しい道を選びたい。そこにこそ、主は栄光を表してくださると信じる。