特別救助隊!

 今日、実家の片付けに向かう途中、私の車の前に「特別救助隊」と書かれた消防車が走っていました。それを見て「イエスさまは、私の特別救助隊だ!」と思い、嬉しくなって思わず写真を撮りました。

f:id:Countyourblessings:20210217215419j:plain

実家に向かう途中に出会った「特別救助隊」。カッコイイですね!

 昨日、近くに住んでいる父方の叔母を訪ね、一緒にお茶をしてしばらくおしゃべりしてきました。叔母は父の妹ですが、遊びに行くといつも色々と昔話をしてくれて、「そうなの〜。知らなかった〜!」ということもしばしばで、私が知らない父の顔や思いを今になって知ることができます。

 昨日は「私が横浜で料理屋をしている時に、新ちゃん(父)が一人で来てさ、「うちのやつも娘も冷たい!」って1時間も愚痴ってったことがあったよ。」と、教えてくれました。大いに身に覚えがある私は「そうだよね。冷たかったと思う。あの当時は「嫌い」としか思えなかったから。」と答えました。

 叔母の家を出てから、「痛みを感じていたのは私だけじゃなかったんだな。私たちはお互いに傷つけ合ってたんだな。」とつくづく思いました。自分ばかり辛い思いをしている、と各々が自分のことしか考えられなかったのだと思います。みんな愛されたくて、相手に求めることばかり。でも、求めても、相手だって与える余裕なんかなくて、私だって与えられたい、愛されたい、満たされたいのはこっちよ!と、愛に飢え渇いている人が集まった家族だったと思います。

 そんな私たち家族を、神さまは憐んでくださって、父を信仰に導いてくださり、母と私も拙いながらも神さまを信じることができて、父も母も今は天にあって、神さまのみもとで安らがせていただいているとは、何という恵みでしょうか。悲しみの家だった私たち家族を、イエスさまの十字架の愛で包み込み、呑み込んでくださいました。今、実家の片付けをして、色々なものを発見します。普通だったら「嘘でしょ!」とショックを受けるような過去の遺物も。ショックはショックなのですが、でも、神さまの大きな愛で覆い尽くしてくださっていることを感じ、平安を保つことができるのも、恵みだなと思います。イエスさまの十字架の愛の深さを覚えて感謝です。私は、イエスさまを信じることによってしか生きられません。イエスさまは、苦しんでいた私たち家族のところへ、そして罪深い私のところに来てくださった「特別救助隊」です!

エスはお答えになった。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」(ルカによる福音書第5章31〜32節)