心を騒がせてはならない

 ここのところ、これから先のことを考えて、イライラしていました。神さまが、ちゃんと私の将来を最善に計画してくださっていることを今年に入ってから、御言葉によって示されていながらも、「まだ?」という思いもありました。しかし、昨日の聖書日課に「主イエスの逮捕前後、人々がどのような反応をしていたかを見ると良い。群衆たちの心変わり、シモンの家で香油を注いだ女性、裏切ったユダ、逃げ出した弟子たち、否んだペテロ。「あなたは、あなたの生涯をすべて主にゆだね、これから主を信じて歩みますか?」と問われたとき、どのような態度を取るだろうか。人を見るのではなく、神を信頼していきたい。」とあり、「私は、私の生涯を全て主にゆだね、これから主を信じて歩みます。人を見やすい弱い者ですが、神だけを信頼していく者とさせてください。」と祈りました。

 今朝も心穏やかでなく、神さまに訴えるように祈りました。そして、新聖歌517番「はるかに仰ぎ見る」を賛美しながら、「父の備えましし 楽しき住処(すみか)あり」という歌詞が目に留まりました。「あぁ、神さまは楽しき住処を備えてくださっているんだ。」と。そして、その賛美歌のページにある参照聖句を調べました。

「心を騒がせてはならない。神を信じ、また私を信じなさい。私の父の家には住まいがたくさんある。もしなければ、私はそう言っておいたであろう。あなたがたのために場所を用意しに行くのだ。」(ヨハネによる福音書第14章1~2節)

また今日もこの御言葉に救われました!心のざわざわと不平不満は収まり、「心のガリラヤ湖に嵐は荒めど 主イエスの一言葉は平和をもたらす」(新聖歌453番「ガリラヤ湖の岸にて」3番)を経験させていただきました。私の行くべきところは、イエスさまが用意してくださる。私は主を信頼して、御言葉から目を離さずに、真っ直ぐ主を見つめて歩ませていただきたいと思います。主から目をそらせば、水の上を歩くことはできません。主が与えてくださった、この御言葉をしっかり握って、次のステージへの備えをしていきたいと思います。

「私は耐えて主に望みを置いた。すると主は私に向かって身を乗り出し

私の叫びを聞いてくださった。

主は私を滅びの穴、泥沼から引き上げて 私の足を岩の上に立たせ

歩みを確かなものとし 私の口に新しい歌を 我らの神への賛美を授けてくださった。

多くの人はこれを畏れ、主に信頼する。」(詩編40編2〜4節)